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仕事や人間関係が原因の鬱とは違う、至った上での社会的鬱に理解が持てる人と繋がりたい
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- 悟世 きつね
- short bio
- 思考家。アクティブでポジティブなニヒリスト。9割の人間と話が合わない
ギフテッドとは何か
「ギフテッド」という言葉を使うと、案に周囲を見下しているように受け取られるかもしれない。そう感じる自分もいる。自分を特別視するナルシズムや、他者への軽蔑的な響きを自覚しつつ、それでも使いたくなる言葉だ。なぜなら、僕が感じている違和感や疎外感を表現するのにこれ以上しっくりくる言葉がないからだ。
ただし、ギフテッドはIQや成績の良さで単純に測れるものではない。むしろ、それ以上に「感じすぎる」ことや、無垢なキャンバスに直接絵具が塗り込まれるように周囲から影響を受けやすい感覚がある。良い環境にいればその感覚が鮮やかな色彩を描く一方で、悪い環境にいるとその影響で汚れてしまう。この「汚れ」の感覚が、僕には生々しく感じられるのだ。
社会的鬱とその背景
僕は高校を途中で辞めたが、振り返るとその時の環境は良かった。先生も同級生も、今考えれば「いい奴ら」だったと思う。だからこそ、発達上の重要な部分が損なわれることなく済んだのだろう。
しかし、大人になってからは違う。出会う人々や周囲の環境に「汚れ」を感じることが多くなった。前の彼女も、周囲の人々の多くも、どこかで信じられない部分があり、心の中でその「絵具」が粗悪な材質であるかのように思えてしまう。
僕が抱える「社会的鬱」は、典型的な鬱病とは異なる。仕事の過労や人間関係のストレスから生じるものではない。むしろ、社会そのものや人間の在り方に対する失望や疎外感、そしてその中で自分が「汚れてしまう」という感覚からくるものだ。
理解されない孤独
僕は何かを達成し、様々な能力を身につけ、知識もある程度手に入れた。金銭的な問題も少なく、時には万能感すら覚える。それでも、鬱は消えない。この鬱は「何かが足りない」ではなく、「全てを知った上での失望」に近いのだと思う。
この感覚は、普通の会社員が抱える過労やハラスメントが原因の鬱とは全く異なる。僕が変わった生き方をしてきたからこそ感じる特殊な鬱なのだろう。そして、この感覚を理解してくれる人はほとんどいない。
最後に
ホモガミー――つまり、価値観や性格が似た人と深く繋がること――にはもう期待できないのかもしれない。けれど、僕と同じように「社会そのものに失望し、それでも生きようとする人」と出会いたい。分かり合える人がいるならば、その人と静かに繋がっていきたいと思う。
この社会的鬱に理解を持てる人がいたら、ぜひ話してみたい。僕たちは孤独だけれど、その孤独を共有できる誰かがいれば、少しはこの「汚れた絵具」にも希望を見いだせるのかもしれないから。
※この記事の元となった短文投稿:
現世で学びの限りを尽くし、ゲームも読書も切り捨て暇を持て余す。主に英語圏コミュニティに出没。INTPとINFPの演じ分けが得意。哲学者というよりは思考家。
いわゆるソウルメイト(魂の伴侶・運命の相手)との邂逅を求めて本ブログを開始。 97%の人間と価値観・考え方が合わないことを深く憂う。
隠者 。他者との不必要な関わりを最小とすることを美徳として掲げ、隠れ生きている 。エッセイスト。文字書き。大学院生。
名前は「さとせい きつね」と読みます。
※本文は私のつぶやき形式の短文投稿を元にChatGPTが書いた文を載せてる場合があります。というかほぼそうです。怠いので。でも読んで僕自身が納得・同意した文しか通してません。元データは私の思考ですから、冗長化・丁寧化された文としてお楽しみください。
AI無用の包み隠さないつぶやきはこちら LINEはこちらのプロフィールに載せています。ソウルメイト探してるって人はお気軽にお声がけどうぞ 他のお問い合わせはメールにてお願いします
~ ソウルメイト同士は外出先で偶然に繰り返し出会うらしい。よろしい、ならばネット民の私達はブログでこそ邂逅を果たせるのではないか。その仮説が正しいのか、あるいはスピリチュアル論から根本的に誤っているのか、それを自ら人柱となり再現性の検証としよう。