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読書や他人の考えを知ることは偉くも凄くもない。これが分かる人と仲良くしたい

僕が求めているのは、こうした価値観を共有できる人だ。本を読むことや他人の意見を知ることに過剰な意味を見出すのではなく、自分で考えることを大切にしている人。そういう人と出会い、深く話し合える時間を共有したい。

悟世 きつね

悟世 きつね

思考家。アクティブでポジティブなニヒリスト。9割の人間と話が合わない

アンチ読書の立場から

僕は、いわゆる「アンチ読書」だ。これは比喩でも何でもなく、文字通りの意味だ。なぜなら、他人の考えや知識を知るよりも、自分で考える方が圧倒的に早いし正確だと信じているからだ。これを僕は真理だと思っている。
言語化された情報を量子化された断片として取り込むよりも、自分の経験や直感を信じるほうが自然だし、理に適っていると思う。もちろん、例外はある。Wikipediaや知恵袋、ChatGPTといったリソースに頼る場面もあるが、それはあくまで補足であって、基本は自分の頭で考えることが優先される。

読書は特別な才能か?

よく、分厚い本を何冊も読みこなしている人を見ると、「すごい記憶力だな」「頭の容量が違うんだろう」と感心することはある。でも、それが「偉い」か「凄い」かと聞かれれば、答えはノーだ。なぜなら、読書を通じて得た知識で他人を見下したり、マウントを取ろうとする人を多く見てきたからだ。

ウェブ新聞のライターたちが、読んだ本や知識の断片で何かを語ろうとする様子を見るたびに思う。そのような態度は、自身の乏しい思考力と浅学無知を公衆の場でさらけ出しているに過ぎない。読書そのものが悪いわけではないが、それを自己顕示の手段にする姿勢には共感できない。

知ることと考えること

他人の知識や経験を吸収して「偉い」「凄い」と感じることはない。それは、中学生の頃にありがちな幻想だ。誰かが読んだ本の数や知識の量で優越感を得るのは、まだ思考の本質にたどり着いていない証拠だと思う。早くその幻惑から目覚めるべきだ。

知識を持つこと自体には価値がある。しかし、それをどう使い、どう考えに変えていくかが重要だ。知識はツールであり、目的ではない。自分で考えること、つまり経験から生まれる直感や洞察のほうが、はるかに本質的で価値があると信じている。

分かる人と仲良くしたい

僕が求めているのは、こうした価値観を共有できる人だ。本を読むことや他人の意見を知ることに過剰な意味を見出すのではなく、自分で考えることを大切にしている人。そういう人と出会い、深く話し合える時間を共有したい。

だからこの記事を読んで、「確かにその通りだ」と思った人、ぜひ声をかけてほしい。僕たちが共に考え、語り合うことで、より本質的な価値を見つけられるかもしれないから。

※この記事の元となった短文投稿:

悟世 きつね

厭人家 / 明るい虚無主義者 / 思考家

厭世家。悟りの域をもってして生物学的人と社会に失望している人間個体。形而上学的価値と形而下における主観的価値の生産消費を重んじる価値論者であり積極的虚無主義者。