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マッチングアプリにおける接触可能性と人的質のトレードオフ
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- 庄 有坂
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- 99年生まれ。失敗しないパートナー選びを模索。MENSA会員。
よく言われるのが、"マッチングアプリ(や出会い系サイト、あるいは婚活サイトなど)で会える(に登録している)ような人なんて、その質が知れている"といった主張です。
これには一定の妥当性があり、私自身もこういった主張を支持しています。
簡単な話で、
- 出会いに時間を掛ける(掛けなければならない)ような人はそうでない人らに比較して相対的に魅力がないからだろうとか、
- 出会いに彼ら彼女ら自身の有限の時間をより割いているということは、すなわち彼らの他の物事へ割かれる意識、リソースがそういった無為(非生産的)な物に向けられていることを示しており、それは彼らの生活の質(wellness/well-being)、技術力やスキル、知性や能力における向上機会の損失を許しているということになり、彼らはそういった機会損失を許してしまうような(程度の)人なのだとか、
考えてみれば当然のことになります。
しかし一方で、"出会い"といった言葉を含ませなければ人が集まらない、人に会えない、人に伝わらない、というのもまた拮抗する事実かと思います。
- 街コン
- 出会い
- マッチングサイト
- 合コン
- 恋活
こういった言葉を並べるからこそ、人に彼彼女がそれを認知の中心に添えていることが伝わるわけです。
これが例えば以下のような湾曲した非直接的な表現、「分かって欲しい、伝わるよね?」表現になってしまうと、ミスコミュニケーションの生じる機会を許してしまいます。
- 友達募集中です(実は恋人作りが目当てです)
- 一緒に飲み行ける人ー!(実は恋人作りが目当てです)
このような表現に人々がその非効率性にも関わらず"自然な出会い"と称して囚われてしまうのは、こういった表現をすることで、
- 自分自身が上述の出会いに貪欲にならなればいけないような劣等的な行動原理を持つ者ではないことを暗に示すことができるため
- 上記に同じく、相手に対して同様の事柄を支持することのできるため。(相手について一定以上の質を担保することができる)
といったアップサイドがあるためです。
これらの表現のバランスいいところを取ったような表現もあります。
- さみしい(友達以上の関係を持てる人、長い時間を一緒に居続けられる人がほしいです -> 恋人がほしいです)
特定の目的を暗に示すことのできるような表現もあります。
- 今日会える人?(一日だけの関係がいいです)
ある言葉にはその言葉に認知が重なっている人らが集まります。ある言葉と相関性の高い固有名詞にはそれにそういった人々が惹き寄せられます。
このトピックにおいては、非直接的な表現の方が風情があり近づきやすいのは私を含めた人々の一般的な感性だと思います。
しかし一方で、言葉に確立された、蓄積された人々の意識というのには、一種、文化的な利用価値があります。
つまり、"出会い"という言葉には出会いたい人が集まるわけです。これは当然なわけで、であるから、"マッチングアプリ"には同じくそういう人が集まるのです。 "友達募集"、"話したい"、"会いたい"、"さみしい"、どれも異なる場合のコンテキストでも使用される言葉で、"出会いたい人"との認知的親和性は必ずしも高くありません。
「いい人と出会いたいのに、マッチングアプリのような直接的な手段ではそういった人と会いにくくなってしまう。」
いい人と出会おうとすれば、マッチングアプリだとかは使うべきじゃないし、でも自分が直接的な言動をしなければ人には出会えない。
こういった相反する事実とその二者のトレードオフ、あるいはバランシングに、私を含め多くの人々が今日悩まされているのかと想像します。