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「些細なことで怒る」を決めるのはあなたではない

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    庄 有坂
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    99年生まれ。失敗しないパートナー選びを模索。MENSA会員。

よく、他人や恋人に「些細なことで怒る」と言う人がいます。しかし、その人はそれが"些細なこと"かどうかを決めることができるのでしょうか?このコラムでは、「些細なことで怒る」という発言についてクリティカルに考えてみたいと思います。

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些細なことかどうか決めるのはあなたではない

「些細なことで怒る」という発言は、その人が「些細かどうか」を決めることができるという前提があります。しかし、その前提には疑問があります。何故なら、その人が怒る(怒らせる)ことをしたり言ったりしたから怒られているのだろうということが考えられるからです。

その人が「些細なこと」かどうかを決めることができるのは、その人自身であって、他人ではないのです。 つまり、怒られる(怒らせる)ことをしたり言ったりしたから怒られてるんだろうということです。

あなたが大切にしているものは、相手にとっては些細なことかもしれない

あなたがもし大切にしていた思い入れのある品を壊されたり、あるいは情熱を持って取り組んでいたことを否定されたり、気持ちや意思を傷つけられたりした時に「酷いよ!」と伝えて、相手からの返答が「そんな些細なことで怒るなよ。」「君って、くだらない、取るに足らないことで怒る人だよね。」というものだったら、あなたはどう感じるでしょうか?

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猫寿司

「僕(私)は彼女(彼)を怒らせるようなことはしてない。」というような言い方がそもそも人を不快にさせるようなことだとまず気づこう。

2024年9月16日 07:35

その物や事がどれだけ大事なものであるかは「あなた」が知っていることであり、その相手は知っていないことですよね。相手は「ごめん。君にとってとても大事なもの(こと)だったんだね」と反省をし、それを伝えてくるべきではありませんか?

「些細なことで怒る人だ」がなぜ論理的に破綻しているか

繰り返しになりますが、"それ"が些細なことかどうかを決めるのはあなたではないのです。

論理的に紐解いてみましょう。

「それ」は怒らせられた人の主観(=つまり、その人の立場では)で重要なことであり、かつそれは怒られた人の主観(=つまり、その人の立場では)では些細なこと、ということになります。

しかし、「それ」が客観的(=つまり、他の人々の立場から見た場合)に重要なことであるかどうか、あるいは、些細なことであるかどうかは、怒らせられた人も怒らせた人も判断することができません。

「あなたは些細なことで怒るね」「彼女(彼)は些細なことで怒る人なんです」といった言い方は、客観的な視点での言い方ですよね。ここがおかしいのです。怒られた"彼女(彼)"は当事者であり第三者ではない。それなのに、第三者の立場から判断しているのです。それこそ、人の神経を逆なでするような(=人を怒らせてしまうような)、傲慢で勝手な態度であると思いませんか?

人付き合いでは、相手の立場に立つ(立とうとする)、相手の気持ちや言動を尊重する、といったことが大切です。それができない人やできなかった場合に人から嫌われたり、嫌な顔をされたりすることがあるのです。

怒られた時には、自分の言動を振り返る

「些細なことで怒る」という発言について、もう一度考えてみることは大切なことです。そして、怒られた時に、その人がなぜ怒っているのかを理解することが必要です。また、怒られた時には、自分の言動についても振り返ることが大事でしょう。

お互いが理解し合える関係を築くために、相手の気持ちを大切にすることが重要です。

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庄 有坂

恋愛哲学を研究 / 失敗しないパートナー選びを模索 / メタ認知IQを提唱

99年生まれ。IQが好きではないMENSA会員。自称ギフテッド。
「"高IQ→ギフテッド"ではない」主張を公に支持するため某IQ団体に入会。
近年の研究対象と関心は行動科学の分野。価値論者。多趣味でインドア。
9年目の一匹狼プログラマー。 自作SNSで思考と日々を更新中。

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